美術は見るものではなく、読むものである
絵画をはじめとする美術品を見る時は、いわゆる右脳的な感性が必要だと思っていましたが、本書を読んでそれは誤りであることに気付きました。本書では「美術とは見るものではなく読むもの」であると定義しています。どういうことかというと、美術は「時代の政治・宗教・哲学・風習・価値観の造形物である」ということです。
本書は絵画などの美術品のどこを見たら良いのか、この美術品が表現しているものは何なのか?と思っている人にお勧めです。「この絵は印象派のXXが描いた作品で・・・」という解説を聞いても「そもそも印象派ってなんだ」「なんで印象派という会派が生まれたんだ」という時代背景を知りたい人にもお勧めです。
本書は西洋美術に関して、紀元前500年の古代ギリシャ美術から始まり、19世紀の現代アートまでその時代に合わせた解説がされています。解説というのは「なぜ、古代の彫像は裸だったのか?」といったそもそもの疑問点について、その時代の価値観を基本に説明してくれています。(「美しい男性の裸は神も喜ばれる」という思想を背景に、「美=善」という信念・価値観があったそうです)
本書の解説を読むと西洋美術はその時代におけるキリスト教と政治的な状況がとても色濃く反映されていることがよくわかります。キリスト教を普及するための「目で見る聖書」という位置づけの絵画が多く描かれます。描かれているものは旧約聖書・新約聖書の物語です。文字を見ることができない人々は絵を見て聖書を理解したようです。
ルネサンスとは「再生」を意味する言葉です。キリスト教が国境化されて以来、ヨーロッパで否定されるようになった「古代ギリシャ・ローマ」の学問と芸術の再生を意味します。
第2部 絵画に表れるヨーロッパ都市経済の発展ールネサンスの始まり、そして絵画の時代へ
(中略)
ルネサンスの時代の特徴として「人間」の地位向上とその尊重があります。小都市国家がひしめくイタリアでは、自国の自由・独立に対する強い意識があり、不安定な政情から生じた市民たちの危機意識が「個人」という意識を目覚めさせます。中世以降、神と宗教が全ての中心だった時代から、再び古代ギリシャ・ローマのように「人間」という存在を強く意識する時代が再生されたのです。
近代絵画の幕を開いたクールベが活動した第二帝政時代は、印象派が制作活動を始めた時期でもありました。
(中略)
たとえば、彼らは描く対象が持つ固有色でなく、光や大気などによって影響された変化しやすい色彩絵を描こうとしました。対象に対して史実ではなく、自分の視覚に対して史実であろうとしたのです。つまり、見たものそのものではなく、自分が受けた印象に対して史実であろうとしたのでした。
第4部 近代社会はどう文化を変えたのか?ー産業革命と近代美術の発展
著者の木村泰司さんは米国カルフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を修めた後、ロンドンサザビーズの美術教養講座にてWORK OF ART修了という経歴の方です。
本書以外にも美術にする著作を多数持っているため、本書の内容も専門家の方が一般の人にもわかる形で書かれています。
本書に書かれている内容は2500年の西洋美術史の大きな流れですが、記載されている内容は政治・宗教だけでなく、美術家の立場なども書かれています。フェルメールは居酒屋の経営者でもあったという記述は、同時のオランダの市場社会ではパトロンもいないことで画家も苦労していた、ということがわかりました。
編集後記
本エントリーは100文字×8の体系を参考に書いてみました。今までのエントリーよりもちゃんと本が紹介できているような気がするので、暫くこの形を続けてみようと思います。
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